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門付芸 春駒 その1

旅芸人の門付芸・祝福芸に、「春駒」があります。全国に春駒と名の付く芸能は様々ありますが、養蚕予祝のものとしては、群馬県、新潟県、長野県付近のものが比較的よく知られています。また京都の春駒の資料も残っています。現在は門付芸人が回る風習はほぼ絶えていますが、群馬県の川場村門前(かわば村もんぜん)の青年団が保存していることが注目されています。春駒は、日本の祝福芸を考えるひとつのキーワードにのなるように思われるので、しばらく書いてみようと思います。

門前の青年団が保存している春駒はこちらです。↓

現在は青年団が主体になっているためか男性が女装する慣行になっていますが、元々は旅芸人の家族が夫婦親子そろって正月にやってきて、娘が踊り、母が歌い、父が太鼓をたたきというような形で行っていました。旅芸人の人々は番太(ばんた)と呼ばれる当時の被差別階級に属し、座敷には上がらず家の前で芸を行って報酬を得ることが多かったようです。当時の旅芸人の様子を知る人の記憶では、番太の印象は背がすらりと高くてかっこよく、女性の踊りは大変美しかったそうです。

この旅芸人の春駒が青年団によって継承されたのは大正時代半ばのことで、門前に毎年やってきて春駒を披露していた旅芸人が来なかった年があり、その年門前の養蚕が全滅したため、来年は必ず来てもらえるように村人が旅芸人を探しに行ったところ、旅芸人は重病で動けなくなっており、門前の青年たちが旅芸人の芸人宿に通って春駒を教えてもらい、自分たちの手で養蚕の予祝として春駒を舞うようになったというのが経緯だそうです。

養蚕の成否が地域の存亡にかかわる大事であったことがわかります。その成功を年の初めにあらかじめ祝うことは、人々の心からの願いであったのでしょう。現在の門前では養蚕はもう行われておらず、養蚕の予祝としての春駒は必要なくなっているのですが、五穀豊穣や商売繁盛など一般的なお祝いの伝統行事に形を変えて今に受け継がれています。

つづく

参考

・旅芸人のフォークロア 川元祥一著 農山漁村文化協会

・門付け芸受容の一断面 黛友明著 文化/批評 20Ⅱ年第3号

 

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