生成AIによる音楽が驚きをもって迎えられる昨今、様々な人が様々な思いをコメントしており、コメント欄がとても面白いのです。
次の動画の6分過ぎ当たりで紹介されている、『われわれは「愛のない音楽は音楽たりえるか」という難問にぶちあたった第一世代になるのでは』、という意見をめぐって、いろんなコメントが見られます。
まず目についたのが、生成AI音楽に愛はないという前提を疑うコメント。「AIが学習する人間の集合知=人間の愛の経験の総合」と見るような意見で、なるほどそうかもという感じもします。愛知(フィロソフィー)を繰り返し説いたソクラテスなら、AIは愛の結晶に見えるでしょうか。
逆に、「全ての人間に愛があるなんて盲信もいいところ」というコメントもあり、人間が作った音楽には愛があるという前提を疑う意見もあります。これもなるほどという気もします。世の中の音楽に愛があるというのは思い込みかもしれません。
別方向からの切り口としては、音楽の作り手に愛があるかどうかはどうでもよくて、受け手が楽しむかどうか、受け手の感受性だけが問題だ、という意見も見られ、これもなるほどと思います。どの意見を聞いても、なるほどと思ってしまう私です。
「芸術は人間の行為であるから、AIが作るものは芸術ではありえない」、「創作に向けられた人の意思や主体性から生まれたものでなければ芸術ではない」という芸術論からの生成AI否定の意見もあり、これに対して、偶然性を取り込んだ芸術は世の中にたくさんあり、ランダムさを主体的に取り込んだ作品とAIを使用した作品の間に決定的な差異はないという、生成AI擁護の意見も見られます。
このようにコメント欄が実に濃くて面白い。
ほかにはきっと、例えばベートーベンの音楽のように、苦悩や努力や不屈の意思と言った人間的価値から生まれた作品でなければ価値はないという見方もあることでしょう。モーツァルトの音楽のように、神からの降りて来たような音楽でなければ本当の価値はないという意見もありそうです。それに対しては、AIという人類の膨大な集合知から降りてくる音楽群は、人間の営為や神に近い、という見方も出てくることでしょう。あらゆる技法を実験的に駆使するバッハなんか、ちょっとAI的手法に近いような気もします。
生成AIは、人、美、知、芸術、神という人間の基礎概念をぐらぐら揺さぶっていることはどうやら間違いないようで、大きな地殻変動が間近に迫っているように思われます。