あれこれいろいろ

西洋音楽史が触れない西洋音楽史

中世以降のヨーロッパ音楽史の本を読んでいると、教会音楽史と宮廷音楽史のことはたくさん書いてあるのですが、庶民音楽史はほぼ何も書かれていません。フランスのトルバドゥールやドイツのミンネゼンガーなど、吟遊詩人と呼ばれる人々のことが少し出てくるものの、これは君主や貴婦人を讃える歌謡として宮廷を中心に流行したもので、庶民の音楽とは到底言えません。

庶民の音楽は記録に残らず資料が乏しい反面、教会音楽と宮廷音楽の資料はそれなりに豊富で、後のクラシック音楽に繋がる経路を明確にたどることができるので、そうなるのは仕方がない面もあるのでしょう。

しかし中世以来都市や農村には庶民の音楽があふれていました。町から町へと渡り歩く放浪楽師がたくさんいて器楽や歌や踊りを庶民に提供していたことは有名ですし、ほかにもきっと農村には農村の歌があり、都市住民には都市の歌がたくさんあったはずです。子守歌、遊び歌、酒場歌、労働歌、ふざけ歌、恋歌など、今は消えてしまった様々な音楽があったことはまちがいありません。

冒頭の図は中世フランスの人口比をあらわしたものを拝借してきたのですが、これによれば王侯と聖職者が0.5%、貴族が1.5%、残りの98%は平民と農民です。この三角図は2%が大きく書かれ過ぎていて、正確には三角形の頂点にちょぼっとあるだけ。西洋音楽史が取り上げているのはこのちょぼっとした人口比2%の音楽で、大多数98%の人々の音楽がなかったような扱いなのはどうもやはりモヤモヤします。

98%の音楽もちゃんと存在していたし、西洋音楽の基底として大切な意味を持っていたはずだと思うのは、多分大切なバランス感覚。2%からの宝探しはもうみんながやり尽くした感がある現在、今まで放置されてきた98%の掘り起こしをしてみると、そこには新たな宝がたくさん見つかるのかもしれません。

 

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