「いあい」と発声した場合と、「うあう」と発声した場合で、真ん中の「あ」の部分だけを取り出して聞いて見ると、それぞれ全く異なる「あ」になるそうです。(「音のイリュージョン」 柏野牧夫著 岩波書店)
これは、舌顎唇の動きの連続性の関係で、「いあい」の最初の「い」には、次にくる「あ」の準備が含まれ、真ん中の「あ」には最初の「い」の影響と最後の「い」の準備が含まれ、最後の「い」には真ん中の「あ」の影響が含まれており、つまり、真ん中の「あ」の情報は「あ」だけで完結しておらず、最初の「い」の中にも最後の「い」の中にも入っているからだそうです。
これが昨日書いた「音素修復による連続聴効果」を可能にする理由でもあります。音声の一部を切り取っても、前後の音声に含まれている情報から、切り取り部分を脳は推測することができるわけです。
さて、ここで音楽の話ですが、「ドソド」と「レソレ」では、真ん中のソだけを取りだしたときには、上の話のように異なる「ソ」になるのでしょうか。声に出して歌う時は、舌顎唇の動きがあるので、同じ現象が起きるでしょう。笛の場合は、タンギングなどで口の動きがあるので、やはり同じことが起きそう。鍵盤楽器や弓奏楽器や撥弦楽器は、指や弓の動きの連続性から、程度の差はあれ、やはり真ん中の「ソ」の情報は、その前の「ド」や「レ」、最後の「ド」や「レ」の中にも含まれるということはあり得そう。そして更に言えば、動きの連続性ばかりでなく、音楽の構築の解釈から、真ん中の「ソ」の情報はもっとずっと前やずっと後ろの音にも含まれるということも十分にあり得そうです。音素修復による連続調効果は音楽でも生じる理由は、そういうところにもあるように思えます。
というわけで、「ドソド」の「ソ」と「レソレ」の「ソ」は、同じ「ソ」でも、ちがう「ソ」にちがいないというのが、秋の夜長にあれこれ考えて出した私の結論。