日本におけるイエズス会の音楽では、最初、クラヴォ(クラヴィコード)やヴィオラ・ダルコ(弓奏のヴィオラ)などの比較的小型の楽器が中心に使われていましたが、1579年か1580年に最初のオルガンが輸入された後、セミナリヨ(イエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関)やレジデンシャ(修院)等でオルガンの自作が始まりました。以下、「洋楽伝来史 海老澤有道著」から引用です。
1596年、ポルトガル船長メンデスがセミナリヨを訪れたときの記録。
「噂のように竹のオルガンがあるものならば、自分の眼で見、自分の手で触りたいと(主張し)、それを見、触り、その音を聞いた時、少なからぬ驚嘆を禁じ得なかった」
ゲレイロによる1600年度報告。天草志岐のレジデンシャの話。
「ヨーロッパのそれよりも、はるかに大きくかつ丈夫な一種の筒である竹の管で幾台かのオルガンを製作した。その竹はフランドルのブリキよりも、もっと美しい音色を持っていた。そして主な教会に備え付けられた」
1601年度報告の記録。長崎のレジデンシャの話。
ローマ出身のパードレの指導によって、「種々のオルガン(複数)や各種の楽器が主要な教会たのめに製作された」
司教セルケイラによる1603年報告。
「彼ら(同宿)は聖堂の聖歌隊や定式に唱い、聖務の執行を助け、単音や複音聖歌、そしてオルガン演奏に成果を挙げている。それらとクラヴォ、ヴィオラ・ダルコその他、現在用いられている楽器の大多数はその製作による」
竹製オルガンには驚かされますが、他の様々な楽器も自作されていたというのも驚きです。日本人の工作技術の高さとイエズス会の宣教師たちのやる気の結晶です。
イエズス会が日本にキリスト教を広げ定着させるのに音楽を非常に重視していたことがわかります。各地に設置する教会に必ず楽器を備え付け、音楽による儀式(聖務)を日々行うことがキリシタンには不可欠であるという信念がうかがえます。
冒頭の写真は、天草コレジオ館に復元されている竹製パイプオルガンです。鍵盤で演奏する人と後ろからふいごで風を送る人の二人で演奏します。この復元竹製パイプオルガンの音はこちら。☟