イタリア人のカスティリオーネが書いた「宮廷人」という書物(1561年)には、16世紀のバレンシア宮廷の暮らしぶりが書かれており、宮廷生活にあこがれる当時の人々に広く読まれていたそうです。その本の中には、宮廷人の素養として、「何かの楽器を演奏できねばならない」とも書かれているのだとか。
ヨーロッパの宮廷人に愛された撥弦楽器といえばリュートが定番ですが、スペインの宮廷で流行ったのはビウエラ(ビウエラ・デ・マーノ)でした。なぜスペインだけリュートでなくビウエラかというと、一説には、イスラム勢力を駆逐することに成功したばかりのスペインではイスラム世界に起源をもつリュートは避けられ、その代わりに、ポリフォニー音楽も奏でられる6コースのビウエラが用いられるようになったのだとも言われています。
16世紀のスペインには、プロのビウエラ奏者が35人いたとか(プジョールの説)、140人くらいいたとか(ジョン・グリフィスの説)言われ、ビウエラの譜本を出版する際には1000部から1500部も発行されたなど、ビウエラのスペイン上流階級への浸透度は非常に高かったようです。
このように16世紀スペイン宮廷に彗星のごとく現れて輝きを放ったビウエラですが、17世紀になると忽然と消えてしまいます。この16世紀に現れ17世紀には衰退してしまうところは、スペイン庶民の楽器であったルネサンスギターもおおむね同じ運命をたどっています。
こんなに流行った楽器が百年で消えてしまうのは不思議なことですが、その理由を一言で言えば、スペインという国の盛衰と運命を共にしたということでしょうか。ヨーロッパの片隅の一小国であったスペインが、16世紀の大航海時代を迎えて世界に急拡大し、100年後に膨らみ過ぎた風船のように突然パチンとはじけてしまったという印象です。「日没なき帝国」とまで言われた16世紀のスペインが、実は最も早く日没に向かって進んでいたのかもしれません。急激な世界への拡大は、スペイン国内からの有能な成人男性の流出と国内産業の荒廃を招き、戦費と奢侈で富が浪費され尽くした後には、楽器までも一緒に消えてしまったようです。
ただヨーロッパの外に目を向けると、ちょっとちがう風景も見えてきます。スペインから流出したビウエラやギターとその音楽が中南米に広がり、黒人やインディオの音楽ともまじりあい、ラテン音楽として大きな流れを作り、現代のポピュラー音楽の大きな源泉になっているからです。
参考文献・「ビウエラ七人衆 西川和子著」