あれこれいろいろ

〇〇〇48 〇〇〇坂 というネーミングの妙

ご存じのアイドルグループ、〇〇〇48とか、〇〇〇坂というネーミングで思い出すことなのですが、

平安時代中期から鎌倉時代、たくさんの貧しい浮浪の人が京や奈良などの都市に集まり、河川敷や坂や町はずれなど住み着いて、河原者、坂の者、散所の者などと呼ばれ、坂の中では、京では清水坂、奈良では奈良坂などがそういう坂の者の地域として有名でした。

これらの貧しい人たちは、乞食、職人、芸人、警備、掃除など、人々がやりたがらないけがれ仕事をして細々と暮らし、女性では、白拍子(しらびょうし)、遊女(あそびめ)、傀儡女(くぐつめ)など、歌舞芸能や売春などで稼ぐ者が多くいたのですが、この時代にこれらの貧しい人たちの信仰を集めていくのが南無阿弥陀仏の念仏の信仰でした。なぜなら、それまでの貴族化した仏教は、貧しい人たちを穢れた救いの可能性のない者として切り捨てていたのに、親鸞、法然、蓮如、一遍などが広めた念仏信仰は、阿弥陀如来は貧しい悪人でも浄土に連れて行ってくださると説いて、貧しい人々に希望の光を灯したからです。

この念仏信仰の根拠は弥陀四十八願から来ています。阿弥陀如来が、素晴らしい世の中(浄土)にするための48の願を立て、その中の18番目に「南無阿弥陀仏をとなえる者を必ず極楽浄土へ生まれさせ成仏させる」というものがあるのです。

こうして、坂の者と、48という数字が交錯します。坂の者から出た芸能者の中に、弥陀48願を心に歌い舞っていた者も多くいたはずで、現代の日本の芸能の根っこのひとつはそこに繋がっているように思われます。(平家物語では、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前のふたりは、念仏三昧の生活に入ったことが書かれています)

〇〇〇坂、〇〇〇48という現代のネーミングセンスは、なかなかよいツボをついてくるなあと思うしだいです。

ちなみに、白拍子などが歌い舞っていたものに、「今様(いまよう)」という流行歌があるのですが、これはつまり「今ふう」「現代ふう」という意味で、当時のアイドルソングと言ってもよいかもしれません。白拍子の服の華やかな制服的雰囲気といい、手が届きそうな憧れの人という感じといい、現代アイドルと通じるところが結構あるように思うのですが、いかがでしょうか。