作レレ

失敗がなかなか尊いのです 失敗の効能ふたつ 木工を教える体験から思うこと

近ごろ、ウクレレ作りを人に教える機会に恵まれ、時々先生役にチャレンジしています。(^^)

先日、生徒さんが糸のこ盤の刃を曲げてしまうという失敗をして、生徒さんが少し凹んでおりました。でも、失敗というのはこれがなかなか尊いのです。

失敗の効能は大きく二つあると思っておりまして、ひとつは、素材や道具の限界値に関する情報を運んできてくれるということです。素材や道具がこうするとこう壊れるという情報をプロフェッショナルは全員持っていますから、プロに必須の情報です。注意深くやろうという意識に裏付けられながらする失敗というのは、限界値に関する緻密で深い情報をたくさんもたらしてくれます。失敗というより、極めて有益な実験に近い体験です。そういう情報が蓄積されて結びついていくうちに、木と会話しながら作り、機械と心を通をわせながら作るというような感覚も生まれます。こうしたら木は喜ぶ、こうしたら木はいやがる、そういうのがわかるという感覚は、別に不思議なことでもなく、限界値に関する情報量の蓄積から自然に生まれてくるのだと思います。

失敗の二つ目の効能は、予想外の結果を運んできてくれるということです。つい間違って普段はしないことをしてしまったとき、そこからは普段は見ない結果が生まれます。これが自分の限界を一気に超えるブレイクスルーになることがよくあります。失敗したからこそ初めて体験する世界に一気に運ばれてしまうのです。一十舎がウスレレの世界に運ばれたのも、まさにそんな体験からでした。人の思考はそれまでの体験範囲を大きく超えられない小さな世界ですが、失敗は従来の体験範囲を一気に飛び越える手助けをしてくれます。

というわけで、ケガをしなければ失敗でもないなあと教える方は思っているので、生徒さんが失敗してもそれはそれでグッドと思うのですが、機械を壊した生徒さんは当然凹みますから、凹んだところを上手に持ち上げてグッドな体験に転換する手助けをするのは先生の仕事だと思うのです。