あれこれいろいろ

琴木の岡 佐賀県神崎 香椎神社か櫛田宮か

先日も書いた、肥前国風土記神崎郡に出てくる、琴が木になったという次の話のこと。

琴木の岡 …この地は平原で、元来岡ではなかった。大足彦の天皇(景行天皇)は、「この地の形は、必ず岡があるべし」とおっしゃって、部下に命じて、この岡を造らせた。造り終えたとき、天皇は岡に登って、賞賛して宴がたけなわとなった後、琴を立てたところ、琴は樟(くすのき)の大木になった。高さは五丈、周囲は三丈あった。そこでこの岡を琴木の岡と言う。

この景行天皇とは4世紀古墳時代の天皇で、ヤマトタケルの父という方です。

この琴木の岡の所在地候補を佐賀県神崎市で探すと、2か所の名前が出てきます。

ひとつは、千代田町餘江の香椎神社で、琴木の岡の伝承地と言われているそうですが、それ以上の具体的な情報は特に見つかりません。卑弥呼の邪馬台国候補地のひとつでもある吉野ヶ里遺跡から6キロくらいの位置。

もうひとつは、神崎市神崎町神崎にある櫛田宮。吉野ヶ里遺跡から2キロ弱ほどの位置。櫛田宮のホームページには、「櫛田宮に琴を埋め、化して楠となる。よって琴の楠と称する。この古木の周囲を呼吸を止めて7回半まわれば琴の音色が聞こえるという。また約300坪の池を琴の池という」との説明があります。冒頭の写真がその琴の楠ですが、この周りを息を止めて七回半はキツイかも。これは推定樹齢千年で景行天皇の時代より新しいですが、景行天皇が琴を埋めた場所から芽が出たと言われているそうです。櫛田宮の由来は景行天皇がこの地に巡幸した折に不幸が続き住人が苦しんでいると聞いて神を祀り鎮めたのが発祥とされ、以後神の幸を受ける地になったことから神幸(かむさち)転じて神崎(かんざき)という市名の由来にもなっているそうです。櫛田宮の「みゆき大祭」が現在も神崎市内で隔年四月に盛大に執り行われますが、これは景行天皇のみゆき(行幸、御幸)を現わすものなのでしょう。

香椎神社と櫛田宮とどちらが琴木の岡なのかわかりませんが、ひとまとめに神崎の一帯が、景行天皇が琴を立てて木になったところ、という大まかなまとめでもよいかもれません。神崎の地名の元になった神幸の「幸」の文字には、天皇のみゆき(行幸、御幸)の意味があるわけですし、その全体が景行天皇の事跡の地ということでよいのではないかと。

昨日の記事と合わせると、宇宙樹(世界樹)→琴→楠→神幸(神崎)、すぐ近くには吉野ヶ里遺跡があって卑弥呼の名前も出てきたり、景行天皇を調べるとヤマトタケルとか大蛇伝説とか、歴史ロマンたっぷりの話が芋づる式に出てくるので、近くに行くことがあったら寄ってみたいと思います。

 

 

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