16世紀ころのスペインではルネサンスギターが庶民層に浸透していたことを書いてきましたが、では庶民はどのようにルネサンスギターを弾いていたのか、当時の文献にはこんなふうに書いてあります。
まず16世紀末の音楽家でギター理論家のDon Luis de Briceñoの文章。
“Si presto se destempla, bien presto se vuelve a templar… es propia para cantar,tañer, dançar, saltar y correr y bailar y zapatear”.
訳 調子が崩れても速やかに調子を取り戻し、…歌うのに適していて、歌って、弾いて、踊って、跳んで、走って、また踊って踏み鳴らし…」
次に16世紀から17世紀のスペインの作家Don Sebastián de Covarrubias y Orozcoは、1611年にギターとそれを弾く人々について書いた文章。
“Aora la guitarra no es más que un cencerro, tan fácil de tañer, especialmente en lo rasgado,que no hay moço de cavallos que no sea músico de guitarra.”
訳 今やギターは簡単に演奏できるカウベルのようなもの、rasgadoでかき鳴らして弾くときは特に簡単なので、ギター演奏者でない馬の少年はいない。
馬の少年、moço de cavallosは、日本語訳では「馬子」と出てくるのですが、要は、馬子にもできる、誰でも弾いたということの表現なのでしょう。
これらの引用元資料はこちら、アンダルシアの教育連盟による教育専門家のためのデジタルマガジン資料です。↓
RECORRIDO PEDAGÓGICO A TRAVÉS DE LA GUITARRA RENACENTISTA
そしてこの資料の著者は、このように書いています。
「百年もの間、床屋も、騎士の従者も、勇気ある者は誰でもギタリラ(ルネサンスギターのこと)を鳴らすことができた。教育を受けた音楽家も、ストリートミュージシャンも、トルバドゥールも、ジャグラーも。手から手へ、市場から市場へ、サーカスからサーカスへと。それは誰にでも利用可能で、rasgadoのシンプルなコードで演奏された」
またこうも書いています。
「ギタリラは、民衆のため、普通の人たちのために作られた楽器であった。床屋の寺のような……と言われるように、街角や日常の人々のために作られた楽器であった。それは、声の伴奏に使われ、簡単な和音で、どんな時でも、どんな人間の感情でも呼び起こすことができた。それは、もうひとつの家の道具だった。「En mi aposento una guitarrilla tomo…” (私の部屋にはギタリラがある…)というように。 通りすがりの人のバッグの中にも、どんな人のバッグにも、音楽家や従者のバッグの中に入っていて、いつもそこにいて、いつでも、誰でも自由にそれを奏でる勇気のある人は利用できた。「そして、野蛮人のように私は演奏する…」、元気づけるために。憧れるように、思い出すように。」