作レレ

木工談義16 注文生産の罠にはまったような製作者の感覚

知り合いの木工家たちと話していると、こんな言葉を聞くことがあります。

「注文に追われてると、自分の作りたいものをちっとも作れないですんですよね」

木工家は最初は作りたいものを作って販売しています。でも最初は売れず、売れても単発的で、木工家としてやっていけるか、だんだん不安になってきます。そんな窮状を助けようと、友人知人が注文を入れてくれると、駆け出しの木工家は、やっと入った仕事に嬉しくなって、自分の関心のないものでも一生懸命に作ります。そうするうちに口コミが広がって、注文が集まるようになると、とたんに忙しくなります。何か月も先まで予約で埋まるようになって、注文に応えるためにひたすら作り続けます。

典型的な成功した木工家の姿ですね。ここまで行き着ける木工家は多くありませんから、幸せな木工家と言えましょう。

でも、その木工家はやはりこう思うんです。

「注文でいっぱいで、自分が作りたいものをずっと作っていない…。これからも注文に追われて、好きなものは作れそうにない」

たとえば芸術的な木のお皿を作りたいと思って木工をはじめた人が、毎日棚ばかり作っていると、罠にはまったような気分になったりします。注文がまわり始めると、そこからもう抜けることができないことに気付くんです。

木工家には職人気質とアーティスト気質があると思うのですが、アーティスト気質の人はこの悩みが特に強いです。自由に創造を展開したい気持ちが強い人たちですから、作りたいものを作れないのは、なんのためにやってるのかわからい気分になるんです。職人気質の人はそんなにつらくはないでしょう。注文にいかに応えるかという腕の見せ所に生きがいを見ることができる人たちですから、そういう人は注文の回転を罠などとは全く思わないでしょう。

生前貧しくて死後にようやく有名になる画家の話などは、生活費のために注文の罠にはまるよりは、貧しくても自由な創造を続けたいという意志が強かったのでしょうね。

でもアーティスト系の人でも、いい感じで仕事を回している人もいるようです。自分の好きなことを自由にやって、それで十分に収入も得て、という人もいるんですね。たとえば、所ジョージという人にそんな匂いを感じます。まわりを明るく楽しくする人にそういう人が多いような気がします。創造的な自由な展開のエネルギー自体が、そのまままわりを照らして喜ばれるような人ですね。一十舎のウクレレも、そんな自由で楽しいエネルギーでありたいと思うんです。
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