ウクレレの魅力

ハワイアン・ルネサンス運動 Hawaiian Renaissance メリー・モナーク・フェスティバル

アラブ音楽のことを書いた翌日にまたハワイ音楽の話に戻るという節操のなさがこのブログの特徴なのです(#^.^#)。

ハワイのカラカウア王とリリウオカラニ女王のもとでハワイ文化復興の流れが生まれましたが、しかし、1898年にハワイがアメリカの準州という形で呑み込まれてしまうと、ハワイの人々は自分達の文化を隠すようになってしまいました。

そこから50年の時を経て、1950年代にアメリカ本土で公民権運動が起きると、新しい流れがハワイに及んできます。ハワイ文化やハワイ語の教育、フラの復興を目指す競技会が各地で行われるようになり、1964年には、フラのオリンピックと言われる「メリー・モナーク・フェスティバル」がハワイ島のヒロで開催され、以後毎年イースターの祝日に合わせて世界中から多くの観光客が集まる一大イベントに発展していきます。ちなみに「メリー・モナーク」とは「陽気な君主」という意味で、ハワイ文化復興の功労者であるカラカウア王の愛称です。この「メリー・モナーク・フェスティバル」が、1971年にコンペティション(競技会)形式に変わった際に、フラダンスは、伝統的なフラ・カヒコと新時代的なフラ・アウアナのふたつの方向が定まります。

1970年代に、ハワイの文化や誇りを取り戻そうとする「ハワイアン・ルネッサンス運動」が始まり、ハワイ人たちは、ようやくハワイ人であることに自信を取り戻し始めたました。当時のフラ・イベントでは、涙で頬を濡らしながら、誇らしげにチャンティング(詠唱)し、踊る人々も多かったそうです。

このメリー・モナークフェスティバルによって、ウクレレも、フラ・アウアナの楽器として、ハワイ文化の中に一層深く根をおろしたと言ってよいでしょう。公民権運動、ハワイアン・ルネサンス運動、メリー・モナークフェスティバルは、ウクレレにとっても重要な分岐点になっていると思います。

※ ハワイアン・ルネサンス運動は、1860年代のカラカウア王の時代を第1回ハワイアン・ルネサンス運動、メリー・モナークフェスティバルなど1970年代以降を第2回ハワイアン・ルネサンス運動と言います。

 

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