冒頭の絵はマデイラ島の若者たちです。ブラギーニャを中心にたむろす若者たち。絵の題名と作者と年号は…
「Grupo de vilões em Santa Catarina, Andrew Picken, 1840」
訳しますと、
「サンタカタリーナの悪党たち アンドリュー・ピッケン 1840」
マデイラ島のゴロツキたちなのでした。
以前マデイラ島におけるブラギーニャの位置付けについて考察して、①農民楽器として、②女性や子供に適した楽器として、③マデイラ島らしさの表現アイテムとして、➃マデイラ島を訪れる上流階級向け観光資源として(オーストリア皇后エリザベスがブラギーニャを手にする写真など)、⑤上品な音楽会にも使える楽器として、など様々な位置づけで利用されたようだと書きましたが、ここに⑥マデイラ島のゴロツキ遊び人向きのかっこいい楽器としての位置づけも加わりました。
これは案外すごいことです。あらゆる階層とあらゆる場面を取り込み、多面性をきわめています。ゴロツキから皇后までというふところの深さ。遊び人から島の事業までという幅の広さ。
ブラギーニャは、私の推測ではポルトガルのカヴァキーニョ・ウルバーノ(19世紀的な都市型カヴァキーニョ)が19世紀初頭にマデイラ島に入ってきて、短期間にマデイラ島の各階層各場面に入り込み、そして同じ世紀のうちにハワイに渡るや、ハワイでも同じように人々の間に浸透していきます。船が着いたその日からハワイの人々の話題をさらい、ハワイの庶民からハワイ王(カラカウア王、リリオカラニ女王)に至るまでを魅了し、短期間にハワイらしさを表す楽器になっていきます。
この伝播力には、ポルトガル人たちの商魂や企画力が大きく関与しているように思うのですが、楽器自体が持つ力がやはり根底にあるだろうと思います。階層縦断的、地球横断的な伝播力、遊びも事業も含んでしまう包容力、そして外から来た楽器なのにこれこそ自分たちを代表する楽器だと人々に思わせてしまう浸透力…ある種究極の楽器と言えないでしょうか。
こういう様々な力の源泉をたどって、海を渡って世界に拡散した様々なギター型楽器を追っかけています。最後はルネサンスギターまでたどり着きたいという期待を持ちながら。