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楽器の擬音語2 擬音語が登場しない平安時代の音表現

奈良・平安・鎌倉時代の文学表現には、楽器の擬音語が見つからないという話なのですが、では当時はどのように楽器の音を表現していたのでしょうか。

平安時代中期、源氏物語の若菜下の文章にはこのような表現があります。

琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄みはてておもしろく聞こゆ。和琴に大将も耳をとどめたまへるに、なつかしく愛敬づきたる御爪音に、掻き返したる音のめずらしくいまめきて(源氏物語 若菜下)

「澄みはてておもしろく」「めずらしくいまめきて」が音の様子の描写で、「神さびたる手づかひ」「なつかしく愛敬づきたる御爪音に掻き返したる」が演奏する様子の描写で、「琵琶はすぐれて上手めき」が演奏する人の描写で、「和琴に大将も耳をとどめたまへるに」が演奏を聴く人の描写。多面的な視点を重ねることで音を表現しようとしているように見えます。登場する形容詞自体は「おもしろく」「なつかしく」「めずらしく」など案外平凡。その平凡さを多面的な情景描写で膨らませることに文章術を総動員している印象で、現代で言えば、グルメリポーターの「おいしい」を伝えるための、多様な表現に似ているような気もします。

次に、これも平安時代中期の物語のうつほ物語にこんな文章があります。

いささかかき鳴らして、大曲一つを弾くに、大殿の上の瓦、砕けて花のごとく散る。今ひとつ仕うまつるに、六月中の十日のほどに、雪、衾のごとく凝りて降る

(琴をいささかかき鳴らして、大曲をひとつ弾くと、御殿の屋根の瓦が砕けて花のように散る。もうひとつ弾くと、暑い盛りの季節に、雪が布団を敷いたように固まって降る)

これは源氏物語の客観的な描写とは異なり、非常に大げさな表現。瓦が砕け散るなどという現実にはあり得ない大げさな表現にすることで、音のすばらしさを訴える技法は、漢文の影響が感じられます。後白河法皇の「梁塵秘抄」という本の題名は、中國古代に美しい声の持ち主が歌うとその声は梁の上の塵を動かし、塵が三日間梁をめぐったという故事から取られた言葉ですが、これとほぼ同じ発想のように思われます。

というわけで、様々な文章技法を駆使して音をめぐる物語に再構成することで音の様子を表現するのがこの時代の作法のようです。繊細な文章技法と漢文や故事の知識の豊かさで競っていた当時の貴族たちにとっては、擬音語はなまなまし過ぎて品がよくないように感じられたのでしょうか。

参考文献・楽器の音を写す擬音語 山口仲美 埼玉大学紀要 第52巻2号2017年

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