明治3年から明治10年ころにかけて、明治政府の方針に沿って、各県において盆踊り禁止令が出されています。
禁止令の具体的な内容は各県ごとに特徴がありますが、総合的に言えば、次の四点が禁止の焦点となっています。(明治時代に布達された盆踊り禁止令の記載内容に関する研究 伊東佳那子 來田享子 より)
① 一箇所に男女(または多人数)が集まること
② 裸体、奇妙な格好(例えば異性装)
③ 楽器等を打ち鳴らすこと
④ 町中を踊り歩く(または踊り騒ぐ))こと
例えば秋田県の禁止令では、次のような行為が弊風(悪い風習)として列挙されています。
「盆踊抔ト相唱①男女群ヲ成シ所望スル処ニ於テ③管弦等鳴シ歌舞ヲ為シ(略)④深夜外歩スルハ第一人身ノ健康ヲ害スルハ勿論或ハ②男女ノ別ヲ乱リ衣類同調等ノ弊風モ有之趣」
これらの禁止内容からすると、現代なら、フェス、カーニバル、コンサート、ハロウィン、お祭り、集会、デモなどは、みんな弊風ということになりそうです。民衆が集まること、交流すること、自由を楽しむこと、開放的になること、言いたいことをいえる機会があること、ハメを外すことなどは、全部「弊風」ということで禁止ということになるでしょうか。
儒教の孝経に、「風を移し俗をかえるは楽より良きはなし」とあるのを受けて、江戸中期の儒学者太宰春臺は、「淫楽世に行わるれば民の風俗すたれ、雅楽世に行わるれば民の風俗正しくなること古今これ同じ、風俗を移しかえるものは楽なるゆえに、風俗を保つものも楽なり、されば国家を立つるには、はじめに雅楽を作りて世に行い、淫楽を禁じて民間に用いざらしむ、これ王者の要務なり」と書いていますが、まさに盆踊り禁止令は、維新で新しく国家を立てる明治政府にとって王者の要務のひとつという捉え方だったのでしょう。
よく知られた明治維新のキャッチフレーズは「和魂洋才」ですが、むしろ「儒魂洋才」と言った方が近く、元々和魂であったはずの日本固有文化の多くが弾圧によって消去の対象になっている様子が見えます。