インドの話に続いて中国の話ですが、中国でもやはり音楽芸能者は「賎」の位置づけでした。(中国の「賎」は上下の感覚ではあるが、インドのような、穢れ、不浄の感覚は強くない)
周礼には人民の職業が九つに分類され、①米作農耕民、②その他の農民、③山林河川労働者、⓸牧畜従事者、⑤職人、⓺商人、⑦女子糸麻加工従事者、⑧雑事奴婢、⑨定職のない雇工の九つの中に、音楽芸能者は出てこず職業として認められていない扱いのようです。
漢書には農耕者だけが「良民」とされ、それ以外の商・工・医・巫や芸能者は「賎」に分類されています。
朝鮮半島においては、民族的な音楽芸能者としては、高麗時代の「才人(ジエイン)」、李氏朝鮮時代の「広大(クワンデ)」などが様々な歌舞音曲、雑技、大道芸、仮面劇などを行い、やはり賎視されていました。
朝鮮王朝前記における音楽と演劇については、池明観著の韓国文化史に次のように端的にまとめられています。
「民衆の間には、巫歌・僧侶の梵唄があり、大衆的な雑技がはやった。特に農民の間では農作を祝う農業があったが、それは今日まで伝えられている。重要な民俗楽、庶民の音楽である。このような民衆の音楽は、宮廷音楽の衰退とは反対に、朝鮮王朝の末期に近づけば近づくほど活発になった。 庶民の間にはやった仮面劇もまた踊りと歌を伴ったものであった。社会の没落とともにそれは庶民文学の場合と同じく、巫祭的テーマ、破戒僧に対する風刺、両班に対する軽蔑、男女間の愛情の葛藤、庶民生活の困窮のようなものを主題にした。また庶民の間で楽しまれたパンソリは広大(芸人)の独演形態の演劇ともいうべきもので、説話の部分と民謡などの緩やかな歌唱の部分とで構成されたものであった。 朝鮮王朝はこのような庶民芸能の観点から見ても、社会的、文化的な断絶をはっきりと現わしていた。宮廷の音楽などが庶民へと下降してくることも、民間の民俗的演劇文化が両班へと上昇することもほとんど見られなかった。両班階層は儒教的な道学者的姿勢のために、民衆の文化に接触しようとも、それを芸術的に深めていこうとも考えなかった。儒教的教養の両班階層の間には、根本的に民衆文化への軽蔑と拒否がひそんでいたとも言えよう。庶民の間には文化を享有できるような余裕のある商人などの階層が全く成長していなかった。そこで芸人はその賎民的な身分を脱することができなかったし、民族劇は芸術的に昇化される機会を捉えることができなかった。そして開化とともに新文化の導入によって、それらはほとんど没落の運命に見舞われたと言えるであろう。」
「新猿楽記」に登場する日本の平安時代の庶民の音楽芸能と重なるところも多く、日本の芸能を考える上で参考になることが多くありそうです。また庶民音楽と芸術音楽の断絶などは、程度の差は様々ながら今もなお類似の現象が世界にあり、考えるべきことが多くあるように思われます。
参考・アジアの聖と賎 野間宏・沖浦和光著