梁塵秘抄の中には、替え歌がいくつか登場します。いくつか例をあげますと、
不動明王恐ろしや 怒れる姿に剣を持ち 策を下げ うしろに火炎燃え上がるとかやな 前には悪魔寄せじとて降魔の相
樵は恐ろしや 荒けき姿に鎌を持ち 斧を堤げ うしろに柴木巻い上るとかやな 前には山守寄せじとて杖を提げ
熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山峻し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ若王子
八幡へ参らむと思へども 賀茂川桂川いと速し あな速しな 淀の渡りに舟浮けて 迎へたまへ大菩薩
以上はどれも梁塵秘抄の中におさめられている歌ですが、次のように梁塵秘抄の中にある歌の替え歌バージョンが平家物語に登場するケースもあります。
仏も昔は人なりき 我等も終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ(梁塵秘抄)
仏も昔は凡夫なり われらも終には仏なり いづれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ(平家物語・平清盛の寵愛が仏御前に移ったと知って白拍子の祗王が六波羅探題を出るときに歌ったという今様…清盛と祇王の隔たりの悲しさを重ねて意味を深めている)
このように平安時代末期の今様は、替え歌を嫌いません。むしろ、替え歌を上手に作り歌うことを、まさに今様(今ふう)のよいセンスとして、とらえているようにも思えます。
和歌における本歌どりや掛け言葉の技法にも通じ、類似性を重ねて意味に深みを持たせたり、類似からの類推(アナロジー)で世界観を広げたり、類似の対比で意味を際立たせたりという、結構深い効果があるように思います。そうして元の作品が世間でどんどん変化増殖していくことを、社会全体の創造性として前向きに捉えられているのかもしれません。
以前、古楽の歌詞から現代的な替え歌を作って歌った人のことを、古楽作者に対する冒涜だと言って嘆いている文章を見たことがあるのですが、替え歌を冒涜と感じる感性は著作権などの観念が強まってくる近代以降のもので、実は古楽作者は替え歌が作られて広がるのを喜ぶような感覚だったのかもとも思います。数百年の時を経て替え歌が作られたら、それこそ大喜び、なんていう可能性もなきにしもあらずです。