あれこれいろいろ

完成された楽器と完成されない楽器

バイオリンは究極の完成を遂げた楽器だと言われています。

それも今から300年以上前の1600年代に、ストラディヴァリウスにおいて究極の完成を遂げ、以後変化していないのです。ヴァイオリンの基本形も、穴の形も、使う木の種類も、内部構造も、細部まで決まっていて、ヴァイオリン製作者の多くは、ストラディヴァリウスの高みに到達することを最高の目標のひとつにしています。

では、ウクレレは?

ウクレレに決まりはありません。ウクレレ製作者ごとに千差万別。

形も自由、何の木を使ってもいいし、内部構造も人それぞれ。

ある有名なウクレレ製作者の人と話したとき、その人は私に、「ウクレレは未完成な楽器です」と言いました。その言葉を聞いたときは、いまひとつ真意を掴みかねたのですが、今は私なりにこういう意味で理解しています。

ウクレレは、完成することがない楽器です

昔、バブルのころ、美味しんぼという漫画がありました。究極の料理を探すというのがテーマで、究極のメニュー派と至高のメニュー派が、メニューの高みを求めて対決する、という話でした。

誰が食べても脱帽の究極の料理、これがまあ、言ってみれば、楽器で言えばストラディヴァリのヴァイオリンかなあと思うんです。

でも、日常の中では、ラーメンがうまかったり、次の日はかつ丼が最高だったり、胃が疲れてるときはお茶漬けがよかったりしますね。

これって、究極とか至高とかと関係ないおいしさです。

このおいしさが、言ってみれば、ウクレレみたいなものかなと思うんです。

「おれ、目玉焼き、好きなんだ(^^」

と言うとき、究極の完成された目玉焼きは別に求めてないですからね。

ウクレレは、まあそんな楽器です。

自由な広がりこそウクレレの豊かさ

「究極の完成」という発想はそこに入ってこないんだと思います。もし究極のウクレレができて、みんながそれ一種類だけを作るようになったら、それはウクレレがウクレレであることをやめたときかも、みたいに感じます。

ところで、冒頭の写真は未完成のままずっと作り続けているスペインのサグラダファミリア教会です。

これはそのうち完成するのかもしれませんが、ずっと未完成のまま作り続けて広がっていくのもまたひとつの豊かさかなと思います。

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