ウクレレの魅力

ハワイ王国 第8代 リリウオカラニ女王 

先日書いたハワイ王国の第7代国王のカラカウアが亡くなると、妹のリリウオカラニ( Lili‘uokalani、1838年9月2日 – 1917年11月11日)が、ハワイ王国第8代(最後)の女王となります。

女王は、アメリカの支配下で権力を奪われ、意に沿わない憲法に署名させられ、ハワイ王国消滅の最後の王になってしまいましたが、ハワイ文化に残した足跡は兄のカラカウアに劣らず大きなものでした。

リリウオカラニ女王は、1878年に作詞・作曲して今でも多くの人に親しまれている歌『アロハ・オエ』、「女王の祈り」(The Queen’s Prayer)、『クムリポ』(ハワイ王国の創世神話)の英訳などの著作を多く残し、作った曲は160曲以上。作曲だけでなく、フラダンスなどハワイの文化の発展を支援したことでも知られ、「Na Lani ’Eha(ナ・ラニ・エハ:ハワイ語で”天国の4人”という意味)」として、ハワイアン・ミュージック殿堂のトップに讃えられています。

なお、“Na Lani ’Eha”は、王家の4人の兄弟姉妹(カラカウア王、リリウオカラニ女王、ミリアム・リケリケ王女、ウィリアム・ピット・レレイオホクⅡ皇子)を指し、兄弟姉妹全員が音楽の才能に恵まれ、ハワイアン・ミュージックに大きな貢献をしているのです。

リリウオカラニ女王は、兄カラカウアが即位する前は、教会のコーラス隊の音楽監督兼オルガン奏者を務め、ギター、ピアノ、ウクレレ、オルガンの演奏に堪能で、ハワイ語と英語の歌も美しいアルトボイスで歌ったそうです。女王の著書によれば、「音楽を作るということは、生来、備わっている才能のようで、呼吸をするように自然に曲ができ、生みの苦しみにあうことなく、その時の感情の表現がそのまま音楽として生まれて来る」と表現しているのだそうで、このような女王の中で、古代ハワイのオリ(チャント)やメレ(歌)と、幼い頃から親しんだ西洋音楽が融合していきます。

このカラカウア王やリリウオカラニ女王の時代に、ポルトガル領マデイラ島から4弦楽器ブラギーニャとその演奏家と製作者がそろってハワイに渡ってきたというのはすごい偶然です。もはや偶然を超えて必然のごときタイミング。かくしてウクレレはハワイアンミュージックと幸福に出会い、ハワイが世界的な音楽発信基地となる流れに加わっていくわけです。カラカウア王とリリウオカラニ女王のもと、政治的に消滅せざるをえなくなったハワイ王国ですが、新たな音楽と詩と踊りの王国の誕生という神話が紡がれたように思えます。政治的な王国がより偉大な王国に脱皮したというのは言い過ぎでしょうか。

最後にかくも偉大なリリウオカラニ女王をたたえるメレとしてもっとも知られているのが、古典フラ(カヒコ)・現代フラ(アウアナ)両方で踊られる『リリウ・エ Liliʻu Ē』です。☟

 

 

RELATED POST