あれこれいろいろ

ゴジラ-1.0 と シェイクスピアのペリクリーズ

先月3/30、ゴジラ-1.0(ゴジラマイナスワン)を映画館で鑑賞。下はその予告動画です。

翌3/31、福岡市天神のイタリア会館で開催された岩田先生のコンサート「シェイクスピアの物語と音楽 ペリクリーズ」を鑑賞。下は練習段階の予告動画で、冒頭の写真は本番時の写真です。

「鑑賞した感想は、どっちも同じようにおもしろかったです」なんて言うと、「ゴジラとシェイクスピアをひとまとめに語るな」と叱られそうですが、表現の違いを超えて、なんだか同じだったような気がしてくるのです。こんなふうに。

不条理な悲運と悪だくみに翻弄されるギリシャのツロの王ペリクリーズと

不条理な戦争と悪意の権化のようなゴジラに翻弄される元特攻隊員敷島(神木隆之介)の物語

ペリクリーズも敷島も大切な人の命が次々に奪われていく悲運に苦悩し、それにあらがえない自己の無力に苦しむ

ペリクリーズも敷島もつかの間見えた希望の光も打ち砕かれて絶望の闇に沈もうとする

ペリクリーズは海中で朽ちようとしていた錆びた甲冑を手入れして従者もなくひとり再起の槍試合に挑み

敷島は倉庫で朽ちようとしていた最後の戦闘機震電を修理してひとり戦いに飛び立った

苦難は過ぎ去り

ペリクリーズは死んだとばかり思っていた妻セーザと娘マリーナに再会し

敷島は死んだとばかり思っていた典子と再会する

ペリクリーズはセーザとマリーナとの家族3人の暮らしをようやく得て

敷島は典子と明子とともにようやく3人ひとつの家族になる

ペリクリーズを苦しめた悪い心の者たちは天罰を受けたかのようにみんな消え去って行き

敷島を苦しめたゴジラは戦闘機とともに砕け散って海底深く沈んで行った

そして敷島は自分の内なる戦争がようやく終わったことを知るのだった

the end

とこんなふうにあちこちシンクロして、気が付けば私の頭の中で二重写しの物語になってきました。二日連続して見なければこんなふうには決して思わなかったことでしょう。

人類は表現方法と背景音楽を変えながら、共通したテーマを繰り返し見ているのかもしれません。

450年前の人々は、現代人がゴジラを見るときと同じような感覚で、手に汗握って身を乗り出しながらシェイクスピア劇を鑑賞していたのでしょうか。

またゴジラ-1.0が世界的にヒットしてアカデミー視覚効果賞を受賞したのは、シェイクスピア劇に通じる普遍性に触れていたことも要因だったのでしょうか。