前回の続き。日本の学校でよく踊られていたフォークダンスの動画をいくつか。みんな楽しそうです。
フォークダンスとは民族舞踊のことで、世界中の民族が祝日や祭日などに民族衣装に身を包み、民族音楽に合わせて民族のステップと振り付けで踊るもので、その中には、祖霊や精霊などの民族的スピリットの召喚・神話の伝承・伝統規範の承継・豊作や狩猟の祈願と感謝・未婚男女の交流による世代承継等、民族の核心的価値(スピリット)が織り込まれています。日本の江戸期までの盆踊りも、祖霊の召喚とともに、そこで出会った未婚男女が結ばれることによる民族の世代継承の機会になっていたことはよく知られています。
こういう民族舞踊が持つ民族の核心的価値を考えると、民族舞踊を他の民族が踊ることは、本来想定されていないはずですが、にもかかわらずB民族がA民族の舞踊を踊ることの意味はどこにあるのかというと、次のふたつくらいが考えられます。
①AがBにAの舞踊を躍らせることにより、BをAに同化させようとするもの。政治的支配の手段。
②BがAの舞踊を自発的に踊ることによって、Aの文化を自ら吸収して取り込もうとするもの。
昭和のフォークダンスを考えると、最初はアメリカの占領政策として①の側面がかなり強かったと思われるのですが、その後の日本人の反応は、②の方の自発性が圧倒的に強くなり、様々なダンスサークルが社会のあちこちに結成され、アメリカばかりでなく世界中の民族舞踊も取り入れて今や3500曲ものリストがあると言われています。民族舞踊の中には民族の核心的価値観(スピリット)が織り込まれていることを考えると、日本人はいつのまにか世界中の民族のスピリットを幾分か取り込んでいる稀有な民族なのかもしれません。日本人は、神道、仏教、儒教、キリスト教などを独自のゆるい宗教観に混ぜ込み、漢字もアルファベットも外国の言葉もどんどん吸収して日本語の一部にしてしまいますから、世界中の民族舞踊から民族スピリットを吸収してしまうのも朝飯前で、そんなゆるい吸収力が日本人の民族性そのものなのでしょう。日本発のアニメやゲームが、人種も民族も宗教も政治も超えて世界に浸透している理由も、こんな日本人の吸収力が発信力に転化したものなのかもしれず、分断を超える日本人のゆるさの吸収力と発信力は想像以上に大きな世界の力なのかもしれません。