あれこれいろいろ

世界の片隅から考える ケルトと日本の音楽

上はケルト人の分布図。

ケルト人は、スコットランド、アイルランド、ウエールズ、ブルターニュ、ガリシアなど、ヨーロッパ西端に追いやられた民族であることが分布からわかります。その端っこにすらいられなくなったとき、アメリカ大陸にあふれだして行った様子も見えるようです。

実際、ケルト人は元々ヨーロッパ中央に広がる民族だったのが、ゲルマン人、ローマ人、アングロサクソン人、ヴァイキングなどに歴史的に追いやられて、ヨーロッパ西端の半島部や島など、時の支配民族の手が及びにくい土地に生きることを余儀なくされた歴史です。そしてじゃがいも飢饉によって食べられなくなった人々が、とうとうアメリカ大陸にまではみ出していきました。

そういう中央権力の支配が及びにくいような世界の隅っこ音楽には、次の三つの可能性があると思います。

・中央民族によって塗り替えられる前の、非常に古い音楽が古い形で残っている可能性

・中央から逃亡して追いやられた様々な民族文化が歴史的に集積し濃縮している可能性

・海に面しているため、海流に乗ってはるか遠くの音楽文化が航海あるいは漂流の形で上陸している可能性

こんなわけで、世界の端っこの文化や音楽は、中央権力に塗り替えられていない原石が沢山含まれている可能性があるのではないかと思います。

このような隅っこ文化の特徴は、日本にもあるのではないでしょうか。大陸の東の端っこの日本で、大陸の西の端で起こったと同じ歴史が起きた可能性は十分にあるように思います。

日本は単一民族として独自の純粋な文化を保つという思想と真逆を仮定してみるのもおもろしいと思います。世界の民族が流れ流れて東の端っこに吹きだまり、様々な文化が集積して、海流にのってとんでもなく遠いところの文化も入ってきて、そういう濃縮交雑文化と見てみるのです。すると、日本の音楽、芸能も新たな側面に光があたるかもしれません。

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