これはハタガネという道具で薄板二枚を両サイドから押し付けて接ぎ合わせているところです。ダンベルが乗っているのは、板が中央で浮き上がってこないように押さえています。
ハタガネというのはこの真鍮製の細長い道具です。いろんな幅で板を挟むことができます。
前に違う方法での接ぎ合わせを紹介しましたね。これですね。
どちらの方法でもできるので、どちらが正解ということはありません。木工でひとつの結果を出すには、たくさんのアクセス方法があってそれぞれに長短もあります。
そういうば昨日友人の家具職人さんと昼食を食べながらこんな話をしました。
木工家を目指しているある若い女性の話です。その人が、とある先生のところで木工を教わっていたのですが、その先生の教える内容がしょっちゅう変わるというんですね。教えてくれることがころころ変わるので、その若い女性はその先生のところを離れてしまったというんですね。
私はどちらの立場もわかる気がします。
若い女性は木工を習いはじめたところなので、教えられる内容がころころ変わると混乱してしまったのでしょう。だから、これが正しいやり方というのを、ひとつに決めてほしかったわけです。実際、オーソドックスなやり方というのは、ある程度は存在しますからね。とはいえ、そのオーソドックスなやり方というのも、結構人それぞれだったりします。
その先生は、木や道具や状況に応じて、いろんなアクセス方法をその時その時に選んでいて、その臨機応変さこそが先生の木工なのでしょう。やり方をひとつに決めてしまったら木工が不自由になってしまうので、決めることなくいつもどんどん変化しているのです。
どちらもわかりますね。どちらにもまちがいなどないと感じます。
その女性がよそで、「このやり方が正しい」というのを、カチッと学んでから先生のところに戻ってくると、きっと面白く感じると思います。先生が前と違うことを言うたびに、「ああ、そういうやり方もあったなんて、目からうろこ。前のやり方と、どう違うんだろう。こういうやり方があるということは、もっと別のやり方もあるかもしれない。こんなやり方をすると、こんなものも作れるかもしれない」などと、新鮮な知識の喜びと、創造の新展開がきっとあります。
その木工の先生は私の友人ですが、私はその人と話しているのが大好きです。いろんな話が広がって自由な発想の宝庫です。