一十舎のウクレレの特徴

工房の壁の真ん中に掛かったままの未販売パロサントウスレレ 壁の中パロのこと

このパロサントウスレレは、ずっと工房の壁に掛けられたまま販売に出しておりません。

すりガラスを通して入る淡い光を受け続けて、いい感じの濃い緑に染まりました。

売りに出していないのには理由がありまして、表板中央の接ぎ合わせ部分を手でなぞったときに、指先が少し引っかかる若干の段差ができてしまったのです。ウスレレ作成後にパロサントが変動して、いつのまにか段差ができてしまいました。演奏に支障はなく、裏には補強のブレースが入っているのでここで割れることもないと思うのですが、段差のあるものをお客様に販売することはできません。

こうなった心当たりはあるんです。パロサントの板を最初から薄く切り出しすぎました。パロサントが貴重なので、一本の材からなるべく沢山の板を切り出したいという気持ちが働いて、厚みを惜しんでしまったのです。切り出しの最初から薄すぎたので、その後の板の変動をシーズニングで吸収する余地がなくなってしまいました。やはり材は惜しまずに余裕をもって作らないと、どこかに無理がかかります。材を惜しまずに使い、最終的に捨てる端材が多くなっても、それも含め一本のウクレレを作るための必要材なのです。わかっていてもつい惜しんてしまう貧しきサガが出ました。(>_<)

こんなわけで、ずっと壁のまん中に掛かりっぱなしのパロサント、通称「壁の中パロ」(名の響からして阿倍仲麻呂の血筋のように思われます)が誕生したわけですが、売れなくても捨てる気はなく大事にしております。なぜなら、ものすごくいい音を出してくれるのです。工房に来て弾いた人は、大抵「このウクレレは、すごいいい音がするんですね~」と言って、ウクレレを両手に持ち直して改めて眺めなおす感じです。胸の中のもやもやを洗い流してくれるような気持ちのいい響きです。そんな最高の響きなので、工房作業の途中に手に取って弾いてみたりすることも度々あります。さすがは阿倍仲麻呂の血筋ですね。

ちなみに、阿倍仲麻呂が詠んだ歌で有名なのが、「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」ですが、この歌は、唐から日本に帰国する仲麻呂の送別会のときにできた歌というのが通説ですが、他の説として、仲麻呂が唐に向かう遣唐使船上より日本を振り返ると月が見え、今で言う福岡県の春日市より眺めた御笠山(宝満山)から昇る月を思い浮かべて詠んだとする説もあるんだそうです。

一十舎の太宰府工房からは、宝満山から登る月がよく見えます。太宰府工房から福津工房に移動するときも、宝満山を眺めながら、宝満山のふもとをずっと走っていきます。

というわけで、仲麻呂と中パロが、1300年の時を俯瞰する上質なダジャレとなったので、めでたく本日の話はおしまいです。ヽ(^。^)ノ。