AIと音楽

50年後の教室風景

昼休みの小学校の教室風景を50年間隔くらいでたどる絵を生成してみました。

明治・大正時代↓

昭和時代↓

平成・令和時代↓

以上は50年間隔くらいで教室の様子をたどってみました。先生が弾いている楽器も時代ごとに変えてみました。

さて、ここで問題は、次の50年後の未来の教室風景はどうなるのか?ということ。明治から令和までの100年間は、服装や調度品が変わっても、基本構造は同じだったと思います。黒板があって、先生が前に立って、机と椅子が先生に向かって整然と並びます。

でも次の50年後は、その基本構造が一変するのかもしれません。たとえば、50年後の教室には、黒板もなくなり、パソコンさえもなくなり、それぞれの生徒の前にホログラムが展開しているだけなのかも。ひとりひとりの前にアバターの先生がいて、能力ごとに個別に教育していて、先生一人と大勢の生徒が向かい合うシステムもないのかも。学校に出て行かなくても自宅学習をしているのかも。大勢が同じ常識を身に着ける教育が産業社会の労働者としての資質だったとしたら、AIやロボットが労働を代替している中で、皆が同じ常識を身に着けている必要もないのかも。知識や技術が脳に直接インプットされるなら、そもそも学校もあるのかどうか。

このように様々な可能性が頭をよぎるのですが、そういう時代だからこそ、人と人が顔を合わせ、協力したり、一緒に考えたり、友達になったり、疑問を出し合ったり、体を一緒に動かしたり、音楽やスポーツをしたり、ふざけあったりという機会は、AIやロボットには代替されない人間の本質を育てるものとして、一層重要になってくる可能性もあります。そんな想定で作った50年後の教室の絵が、次の絵です。

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みなさんはどんな未来の教室を想像するでしょうか。教室風景がどうなっても、きっと子供たちの元気な好奇心は変わらないのでしょう。もしそれが変わっていたら、それは人間の本当の危機の時代かもしれません。