AIの処理速度、処理量、効率、労働生産性がすごいという話をよく聞きますが、このような経済的、ビジネス的な視点よりも、私は文化的な視点からAIを考えたいと思っています。
AIを使うことによって、人の創造性をどのくらい豊かにすることができるのか、人々の暮らしをどのくらい多様で深みのある文化で彩ることができるのか、そんな視点です。この視点では、速度や量よりも、表現の多様さ、深さ、繊細さ、表現に参加できる人の広がりなどの方が大切で、それにAIがどのくらい貢献できるのかに関心があります。
このブログでは一貫して音楽を例に考えていますが、アマチュアの音楽愛好家とプロの音楽家では、事情が大きく異なり、分けて考える必要があるように思います。
まず、アマチュアの音楽愛好家の場合は、AIによる文化的な豊かさを比較的感じやすいでしょう。音楽的な知識や技術の不足のためにできなかったことが、AIの力によって一気にできることの中に入ってくるからです。曲を作ったり、編曲したり、楽器の練習にAIを使ったり、作った音楽を使用して映画を作ったり、仲間に配布したり、定期的に配信したりと、音楽を使う自由度が飛躍的に拡大します。様々な五感の感覚を音楽に変換してみたり、暮らしの一場面を音楽に変換してみたり、漠然とした印象を音楽に変換してみたり、音楽・画像・ゲーム・アニメなど異なる表現形式を行き来してみたりと、音を使う遊びの範囲が広がります。
これに対して、プロの音楽家は、音楽に対する要求がはるかに高く、かつ繊細なので、AIは能力不足に感じられたり、創作に対する障害とすら感じられるかもしれません。プロ音楽家とAIの間に横たわる障壁には、たとえば、次のようなことありそうです。
・プロの問いに対するAIの提案が浅すぎる。AIはきれいに完結した形で提案する傾向があるが、プロはそのような安易な完結に満足するレベルにいない。
・AIの提案を使える形にする負担が大きすぎる。AIからの浅い提案に修正指示を繰り返して高度化していくことが可能でも、そんな手間をかけるよりも自分でやった方が内容が濃く速い。
・プロの要求は、微妙なタッチ、わずかな揺れなど、かなり繊細であるため、その繊細な要求をAIに伝えることができないし、そのレベルでの対話もできない。
・プロの創作の手応えは、出来上がる音楽の結果ばかりでなく、その創作過程自体にあり、AIによる創作は大事な過程を奪ってしまう。
・プロとして音楽に表現したい着想、思想、人生経験、追い求めているものなど、その人の音楽の最も大事な核心にAIは触れることができない。
・AIを使って次々に音楽を作ることが一般化すると、音楽家を育成する場が失われ、音楽家という文化の担い手が減少する。それは音楽文化の衰退そのものであり、安易にAIをプロが使うことには消極にならざるを得ない。
・AIが現在よりも高度化して、プロでも使用に耐える機能が備わってきたとしても、そのときはプロ音楽家の役割が奪われる危険がますます大きくなりかねず、音楽AIの高度化を望まない。
大体こんな事情が、プロ音楽家とAIの間にありそうです。最後のふたつの点について、プロ音楽家の存在意義と育成システムをさらに拡大するような形でのAIの在り方を模索する必要があります。それを前提にした上で、プロ音楽家の高度な要求に答えられるAIの高度化が望ましいと思っています。
