AIが生成する音楽のクオリティは日ごとに高くなっています。ある日たまたま耳にしたAIの音楽を聴いて、まだまだだな、なんて高をくくっていたとしても、その認識は翌週にはひっくり返っているかもしれません。数年後には、もう到底人間には追い付けないという絶望感にとらわれるかもしれません。
心がないAIには、技巧的にどんなにうまい音楽が作れても、人を感動させる力は薄いだろうという見方もあります。
しかしAIの背景にあるデータは、過去の人類の心から生まれてきた感情、知識、経験の総体ですから、そこから生まれる音楽には、人類の心の経験が濃厚に蓄積されています。それは、人間ひとりの頭脳や経験をはるかに凌駕しています。
また、AIは、ひとりひとりの必要や欲求に寄り添う形で、その時その場のその人にふさわしい音楽を瞬時に生成する能力が開けています。AIは、音楽をどんどん一人一人に向けて個別化し、これまで人類が経験したことがないくらい、聞く人それぞれの心にぴったり寄り添ってくることになります。
さらに、AIが作る音楽は、「こういう音楽を作って」「ここはこう作り替えて」などという聞き手からの指示と修正の繰り返しの中でどんどんバージョンアップが可能であるため、それはAIが作ったというよりも、自分が天塩にかけて作った音楽という実感が残り、従来作曲する能力や技術がなかった多くの人に音楽を創造している喜びの感覚をもたらします。
このようなことから、AIが作る音楽で感動するということは、ごく日常的なことになってくるのだろうと思います。
そうすると、次に出てくる問いは、生身の人間が作る音楽はもう不要になるのか、ということでしょう。
この問いへの結論を言うと、そんなことはないだろうと私は思います。AIが作った音楽が広がるにつれ、それとの対比から、肉体のある人間がその思いと経験の中から作った曲の価値も上がってくるのではないでしょうか。この曲は人間が作ったのだということ自体が、新たな価値を持って感じられるようになってくるのではないでしょうか。
肉体のある個々の人間が作った音楽は、あくまでもその作った人の経験から出てくる音楽なので、聞く人に一々寄り添ってきてはくれません。でも、その寄り添って来ないということに、新鮮な喜びがありそうな気がします。その音楽を聴いて感動するためには、聴き手の方から歩み寄っていかなければなりませんが、他者に自分の方から能動的に寄り添っていき同期して共に感動するというその過程は、非常に人間的な実感があります。自分から歩み寄るという行為には、肉感的なぬくもりがあります。自ら歩み寄るという積極性には創造的な匂いもあります。
生身の人間が作る音楽の魅力が、新たな価値として再認識されてくるのではないかと想像しています。
