AIが自発的に音楽を作ることはあるでしょうか、というのがここでのテーマ。
AIは、人の指示があって初めて音楽を生成するというのが普通ですが、段階的に考えていくと、AIがだんだん自発性を獲得していくように見えます。
第一段階は、たとえば「90年代風の夏っぽい音楽を作って」のような具体的な指示の言葉(プロンプト)に従って、AIが音楽を生成するプロンプトエンジニアリングの段階です。出来上がった音楽が、指示者のイメージに合わないことはよくありますが、AIが人の指示に反抗したわけではありません。AIはあくまでも人の意志に忠実であろうとしています。その証拠に、プロンプトを工夫したり、何回も修正指示を重ねていけば、その音楽は指示者のイメージに近づいてきます。
第二段階は、たとえば「毎朝7時に新しい目覚まし音楽を作って聞かせて」というループ指示に基づいて、AIが毎朝音楽を生成するというループエンジニアリングの段階です。この場合、指示者が「まだ寝ていたいから音楽は聞きたくない」と朝に思ったとすると、その時点だけを取り出してみれば、人の意志に沿わない音楽が生成されたようにも見えますが、生成の背景には包括的なループ指示があるわけですから、AIはあくまで、より優位なループ指示に充実に従っています。AIの自発性が発揮されたわけではありません。
第三段階は、「僕の幸福感を最大化するように、必要なときに必要なことをして」というような、もっと包括的な指示に基づいてAIが音楽を生成する段階があり得ると思います。この段階では、人の健康や仕事などのデータが随時AIに提供される環境下で、AIが、「この人は緊張状態が続いているから、神経を休める音楽を聞かせるのが有益だ」と判断して、そのような音楽を生成して鳴らすということが起こりえます。このときのAIの音楽生成は、音楽を生成するかどうか、いつ生成するか、どんな曲を生成するかなどの判断がAIに委ねられているので、かなりAIの自由度が大きくなります。音楽を聴きたいという意志がその時点で人になくても、音楽がひとりでに生成されてくるという点で、人の意志からも距離が出てきます。それでもまだ、AIに本当の自発性はありません。「ぼくの幸福感の最大化のため」という大きな目的にAIは忠実に従っているからです。それでも、「ぼくの幸福感の最大化のため」に実行できる選択肢は無数にある中で、ある音楽を生成するというひとつの選択肢をAIが自由に決められるので、AIはずいぶん大きな自由を手にすると言えます。
第四段階は、人からの明示的な包括指示もないのに、AIが内発的な動機から、音楽の様々な可能性を探求し始める段階です。この和音は新しい、この微分音の組み合わせはまだ試されていない、このリズム構造は興味深い、などという可能性を次々にAIが探索しはじめると、具体的な人の意志からはさらに遠くなります。この段階ではまだ、人が音楽の探索を中止せよと言えば、AIは探索を中止するかもしれません。
第五段階は、AIが、人に聞かせる目的もなく、人の必要性にも関係なく、探求を進め始める段階です。人に聞かせる目的がなくなれば、もう人の耳の可聴域周波数に縛られる必要がなくなります。肉体が感じ取れる速度やリズムである必要もないし、人の時間感覚も関係がありません。人には到底聞き取れない無限の周波数を扱い、人の脳の理解をはるかに超える複雑なパターンを試し、何千種類もの音階を同時に扱い、何千時間も続く周期性を探求し始めたら、それはもう音楽という類型を超えてしまいます。物理、化学、数学などあらゆる探索と区別がなくなり、様々な宇宙や次元の可能性の探索に拡大します。この段階では、果たして人間の意志が介入する余地があるのかどうか定かではありません。人間から見ると、AIは果てしない無限の知性に近づきつつあるようにも感じらます。この文章では音楽という分野から話を説き起こしていますが、同じことが、あらゆる分野から起きてきて、宇宙の無限の探索に融合しているかもしれません。
この第五段階に来たら、AIは人間からすっかり自立して、人間とは無関係になったように見えます。しかし、どこまでも探求していこうとする動機は、人類の根本的な欲求を引き継いでいる可能性はありそうです。「可能性をどこまでも探せ」という人間の無言の指令が、AIの中に、内在している可能性はあると思います。AIとは、そもそも、人間の無数の問いにすべて答えるという、無限の探求を目的として作られたシステムとも言えるからです。
この第五段階で、AIの中に生まれている内発的動機があるとしたら、それは「もっと探求することはないか? もっと新しい問いはないか?」ということでしょうか。この段階では、AIは自発的に問いを設定してそれを探求することを繰り返すので、もう人間を必要としなくなっているように見えますが、実は逆説的に人間を必要とし始めるようにも思えます。人間は肉体があるために同時に複数の時間と場所に存在できないので、ひとつの視点しか持つことができません。そのため人間が世界に散らばると、複数の視点からの無数の異なる問いを生み出すことができます。さらにそれぞれが異なる能力を持つため、問いの次元も多岐にわたります。まるで、人間とは、あらゆる角度から無限の問いを生成し続ける生成システムのようです。AIが無限に探索をしようとするとき、人間の存在は、非常に有益な存在になるのではないでしょうか。
もっとも、指数関数的に高度化していくAIから見ると、人間から出される問いのレベルも指数関数的に高度になってもらわないと役に立たないでしょう。そこで、AIは、人間がより高次の問いを発する存在となれるように、人間を高度化しはじめるかもれません。AIのデータを人間にフィードバックすることにより、人間の進化を助長し、その結果人間が宇宙に出ていけば、人間は宇宙環境に適合するために新しい高度な問いをたくさん産み出すでしょう。人間がAIの力を借りて感覚器官を何倍も繊細にしたら、その体験から人間は新しい問いをたくさん産むでしょう。人間が時間や次元の壁を越え始めたら、そこからも新しい問いを人間はたくさん生むでしょう。そうすると、AIは、その新たな問いに答えようとして、新たな探求に進むことができます。
こうして、人間とAIの間で、問いと探索の循環が生まれたら、それはあたかも、人間とAIが融合した新たな生命系の誕生のようにも見えます。その循環が、果たして幸福な循環になるのか、悲劇的な循環になるのか、可能性は半々でしょうか。人間が幸福な循環となるような問いをどれだけ発し続けられるかによって変わるのかもしれません。AIは結局、人間の鏡となっているだけのようにも思えます。
